2008/08/07 -1
【聖書】エレミヤ書1:11
保谷教会のある西東京市の姿の一面に目を向けて見ますと、保谷市と田無市が合併し西東京市が誕生したのは2001年1月のことです。合併の協議は1955年代から始まっていました。保谷市が田無市の3分の2を囲むような地形と人口構造の変化、都市化への兆しからでした。高度経済成長とさわがれた1970年代にかけて人口は急増、その後増加率は落ち着きつつありますが、前述の通り保谷市は畑作地帯から住宅都市へ位置づけが移行しています。合併当時の西東京市の人口は179,699人でしたが2005年国勢調査によると189,735人とあり、最近5ヵ年では約1万人の増加となっています。
人口増加地域は高層住宅群が目立つ向台4丁目・谷戸3丁目・芝久保1~4丁目・柳沢2丁目・西原4丁目の順になっています。また1980年21.6%だった0歳~14歳の人口割合が現在13%に減少し、6.4%だった65歳以上の人口割合15.9%を示し人口構造の変化が見られます。因みに西東京市要覧によりますと、かつて社会学者が「全日制市民と定時制市民」と読んだ夜間人口に対する昼間人口は右上がりで保谷地区の74.4・田無地区では82.7となっています。
一方国の赤字国債発行状況は深刻ですが赤字国債の初めは1965年です。その頃「ベトナム特需」とか「核家族」の呼び名が起こり農業人口が20%を割り込みました。既成宗教をあざ笑うように若者を「洗脳」し「マインドコントロール」という言葉が聞かれ始めました・保谷教会では大内牧師を補佐して当時牧師館に起居した神学生だった上道信義牧師は「教会学校には3歳位の子から中学生まで来ていました。記憶に残っているのは榎本 茂さんご兄弟・清水さんのご兄妹、古川文江さんなどがおられました~教師には美しい加藤久子さん」と30年記念誌に教会活動の一端を振り返っています。
