2008/09/04 -1

【聖書】フィリピの信徒への手紙1:12

 教会手帳の4月2日には「JELC宣教開始記念日」と注記されています(1893年4月2日復活日礼拝を最初の礼拝として佐賀で守られました)。また2月15日は「JELC宣教記念日」と注記されて(1892年2月最初の宣教師シェーラー来日)いることについて3月2日のこの欄で紹介しました。この時期はその後第二次世界大戦終了時までの日本の政治的。思想的・教育的歩調が確立された時のようです。
 1872年太陽暦が採用され、翌1873年「キリスト教禁制」の高札が廃止となりましたが1889年「大日本帝国憲法」発布、1890年「教育勅語」発布、 1903年「国定教科書」制度が制定されました。「教育勅語」拝礼を拒否したという内村鑑三不敬事件は1891年のことでした。この時期の福音宣教の開始はチャレンジといえるかも知れません。
 「ピーリー(シェーラーに次いで二番目に派遣された宣教師)の日本伝道開始の記録」 によりますと、礼拝が守られるようになってから反対や妨害もひどく、投石や扉が壊されることもあったようです。ピーリー牧師は必要事項として多くの働き人と神学教育・教会堂建築・キリスト教文書の配布・働きに関心をもつ友人・最大の励ましとしての祈り等をあげています。
 1549年ザビエルの来日によって始まった日本におけるキリスト教伝道の歩みがそうであったように、日本におけるルーテル教会の伝道は厳しい幕開けでした。福音の主の要請に応え母国を遠く離れ、言葉の不自由もあり命がけの開拓伝道であったと思います。そうした中で主の働き人として福音宣教に従事した諸先輩たちの働きを感謝して覚えたいと思います。