2009/09/12 -4

【聖書】コヘレト12:13

 朝日川柳に「同じ穴むじな列なし出入りする」という一句がありました。すぐ下の「かたえくぼ」欄には「手の内は熟知している自民党」とあり「旧態依然の醜聞で新しい政治の生気がしぼんでいく図は、見るに忍びない(天声人語)」と結ばれていました。何か空しい世相を反映するようで「諸行無常」の響きを感じると同時に歌詞に託して何となく納得し、自分は傍観者の位置に立っているような後味の悪さも残ります。
 聖書日課によりますと、今旧約聖書のコヘレトと言うところを読み進んでいます。昔「伝道の書」と呼ばれていました。コヘレトは「一切は空である」と語り始め、権力を用い、財力を投じ、知識を動員して現実を調べ「見極めた」とは「徹底的に探求した」ということでしょう。しかしそれは空しく「空」であると繰り返しています。「短く空しい人生の日々を、影のように過ごす人間にとって、幸福とは何かを誰が知ろう(6:12)」という言葉には課題を突きつけられるような思いです。しかし、いくつかの言葉は人生の示唆に富んだ言葉として覚えられてきました。その中には「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ」(12:1・口語訳)と教えた言葉があります。「すべては空しい」という闇を貫いて差し込む一条の光を思わせる言葉です。
 コヘレトとは「集会で語る者」という意味の言葉です。聖書の中で「預言者」は神さまの言葉を預かり人々に伝えるために特別に任用されました。「語る者コヘレト」は何を語るのか。「一切は空しい」と語りはじめるコヘレトは「空しい」ままに終わることを、そのメッセージの内容としてはいません。「神を畏れ、戒めを守れ」これこそ、人間のすべてと結論するのです。空しさの徹底の先に人の思いをはるかに超えて働き、導き語りかける神さまの愛を教えられ伝えたのです。