2010/10/08 -4

【聖書】エフェソの信徒への手紙2:10

 人は生きる上でそれぞれ人生の原点となるものや下敷きとなるようなものを持っていると思います。私は小学校4年生のころ読んだ「ヨセフ物語」がその一つだといえます。親の溺愛によって兄弟たちの反感をかい、エジプトに奴隷として売られた少年ヨセフは、主人の家で誤解を受け投獄されます。獄中で過ごすヨセフは夢を解く才能を認められ、ある時、国王の悩む夢を解きエジプト地方に迫る飢饉に備え、大臣として貢献します。やがて奴隷として自分を売った兄弟たちと再会したヨセフは、復讐ではなく赦しをもって臨み、飢饉に苦しむ老いた父と兄弟たち家族を救ったと言うヨセフの物語です。
 第二次世界大戦敗戦によって、生きる目標が瓦解し、学んだことの多くを放棄する矛盾に落ち込んだ中学の時、友人に誘われて教会に行くようになりました。しばらくして聖書の中で、小学生の時読んだ「ヨセフ物語」が記されている創世記に出会い、改めてこれは聖書に記されている話だったのかと驚き聖書に興味と親しみを持ちました。高校生の時、人間関係の不信に落ち込んだとき牧師先生は「ヨセフ物語」を例に「ヨセフは兄弟に捨てられ奴隷に売られたとき、最善の奴隷であろうと勤め、濡れ衣で投獄されたら最善の囚人であろうと勤めた。そして異国で大臣として用いられた時も奢らず最善の大臣たろうと勤めた。復讐の機会の中で愛をもって最善の家族であろうと勤めた。いつどんな環境におかれても、そこで最善の歩みをしようと勤めたヨセフを見習うように」と示唆に富んだお話をしてくださった。
 哲学者ニーチェは「自分を尊敬すれば、悪いことなんてできなくなる。人間として軽蔑されるような行為をしなくなるものだ[力への意思]」と言いましたが、私は「どんな時にも、どんな環境におかれても最善を尽くしたヨセフ」の生き方を下敷きにしていこうとその時思いました。私たちは「神に愛されている者」として「善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです(エフェソの信徒への手紙2:10)」。多くの試練と課題を前にして何度も挫折し、紆余曲折した歩みにも人生の下敷きがあることは大きな力であり励ましでした。