2010/11/03 -1

【聖書】詩篇139:8~10

 「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28:20)と約束されたイエスさまのお言葉は愛による神さまとの強い「つながり」を教えらます。しかし、今日社会の水面下で何が起こり進行しているのか「無縁社会」という言葉が聞かれます。1990年代のことでした。群集の中の孤独でしょうか「迷惑はかけたくないし、ラジオだけが友達です」と夜の新宿の公園で交わした寂しい会話を思い出します。
 「人が何をしていようが関係ない社会は狂った世界だ」とフランスの作家カミュは言ったそうですが「無縁社会」とはどこか狂った世界なのでしょうか。隣人との「かかわり」や「縁」というものは互いに迷惑をかけあい許し合うものではなかったか、「迷惑をかけたくない」という言葉に象徴される「つながりやかかわり」の希薄さを高山仁(NHK無縁社会プロジェクト取材班)は指摘しています。今話題のNHKテレビドラマ「てっぱん」では興味深く人のつながりを明るい「お節介」がつないでいく姿は印象的です。
 それでも現実は厳しく試練は絶えません。見放されたような孤独の闇に閉ざされます。詩篇の著者はその苦悩をいやというほど味わったのでしょうか、陰府に落ち神さまが見えなくなった時、神さまの声を聞いたのです。神さまなんかいないと結論したそこに、愛をもって私を思いやる神さまがいてくださったという発見をし生かされたのです。高山仁は「人そしていのちを思いやるれる社会こそが願い」だと結んでいますが今日大事なメッセージです。