2009/09/11 -1

【聖書】マタイによる福音書10:42

 名画といわれた邦画や洋画を再放映するテレビ番組がありました。そこで「ベン・ハー」というチャールトン・へストン主演の映画が数日前テレビで放映されました。ローマ帝国支配下のユダヤの様子、剣闘士やガレー船の奴隷の悲惨な姿に戦車競技など見せ場が続きます。小説「ベン・ハー」を学生のころ読んで感動したことを思い出します。
 この小説の著者ウォーレスは、始めキリストを否定する目的でこの小説を書き始めました。しかし、途中で行き詰まりペンは進まず悩み苦しみました。その姿を見た彼の妻が「それなら逆にイエス・キリストを証しする小説にしたらどうか」と促され「ベン・ハー」が完成したといわれます。親友に裏切られ家族は離散し自分は奴隷にされたベン・ハーは憎しみと復讐心が支えとなってそれからの波乱に富んだ人生を生きる物語です。
 彼は奴隷として牽かれて行く途中キリストに出会い、それとは知らずに差し出された一杯の水に生かされ生き延びます。その時心のそこに焼きついたようなキリストの慈しみ深い愛の眼差しに3年後再び出会います。十字架を負い倒れつつゴルゴダの道を行くキリストと出会ったのです。彼は思わず手に掬った水を差し出します。その時あのキリストの慈しみと愛の眼差しに出会うのです。憎しみと復讐を糧に生きてきた彼の心にしみるキリストの眼差しと一杯の水こそ彼に生きる意味を与えるきっかけになったのです。
 生きる力となる「一杯の水」は、ふと注がれる愛の眼差しに、そしてあの一言、あの小さな行動、その微笑がもたらすとも言えます。それは天の配剤です。「人間は細やかな善意だけで動くものではない。わが身はかわいく、世にはせこい敵意や鈍感があふれるが、人は助け合う本能を備えていると信じたい。お互い最も賢いはずの動物に生まれてきたのだから」(10・25天声人語)。