2010/10/06 -3

【聖書】ヨエル書2:13

 人生最後が肝心です「私の死に方」とは、これは某週刊誌大特集の広告の言葉です。今日気になる話題の一つの反映かもしれません。「私の・・・」とは、自分を傍観するのではなく、自ら事柄の中にある者として考えさせる契機、或いは問いを提供しているとも言えます。「人は生きてきたように死んでいく。よき死を迎えるためには、よく生きなければいけない」とホスピスの働きを通して多くの方々を看取ってこられた柏木哲夫先生(淀川キリスト教病院)は、社会福祉法人「しいのみ学園」理事長・園長を勤めておられた昇地三郎先生との対談で語っておられました(「致知」2008・1)。
 柏木先生は「人生を動かす三つの言葉があります。使命・懸命・宿命です。命を使うと書くように使命感をもって生きること、命を懸けること、その結果、命が宿るような人生を生きることです。よく生きるとは前向きの人生であり、周りに感謝できるということに集約できるようだ。そして大きく見れば、神は万事が益となるように共に働いていることを実感する(ローマの信徒への手紙8:23)」と語り、昇地先生は「自分は年だからと消極的になる老感と、自分は何か病気じゃないかと弱気になる病感を持たないことだ」と言っていますが人生の大事な姿勢を教えているようです。
 「私の死に方」とはそれこそ、その私の足場が「よろめく」ような大きな問いです。その問いを私たちは背負って生きているからです。しかし聖書は私たちに答えをもって語りかけています。「足がよろめく」とわたしが言ったとき、主よ、あなたの慈しみが支えてくれました(詩篇94:18)。「よろめく」とは、急流に足をすくわれ「すべり」倒れそうな様子を言います。それほどの問いの中で神さまは慈しみをもって支えてくださるのです。この答えの中ではじめて「よろめく」滅びについて真に考え語ることができるのではないでしょうか。わたしたちはよろめく足を「神の慈しみに支えられ」て生かされ、感謝して前向きの人生を善く生きるよう導かれたいと思います。