2010/10/06 -4
【聖書】詩篇143:5
「寂しい平日・手紙はパパの宝物」と朝日新聞「五線譜」にありました。大阪に家族が住み、東京の某保障会社に勤務する単身赴任者の一文です。「少し古びた紙片を、スーツの内ポケットへ入れた手帳に大切に挟んでいる。幼かった長男が、平仮名が書けるようになって初めてくれた手紙。大きさのまちまちな、でも一生懸命な文字で「とうちゃんだいすきだよ」―午前8時26分東京着。ラッシュの中へ歩き出す。次の機会までの約二週間家族を離れ一人暮らしが始まる寂しさを越えて希望をもたらす長男の笑顔と大事な紙片が目に見えるようです。
幼い子どもたちの書き残した紙片や作品の多くは、時代と共に度重なる移動やもろもろの事情によって手元に無い方も多いことと思いますが、それぞれの記憶の引き出しには沢山あると思います。私の息子が小学校の3年生の時でした、遠足で玩具の十手と印籠を買って得意になっていました。私にそれを見せながら「この紋所が目に入らぬか」と言っていきなり十手で頭をコツンと一発、まるでドラマ水戸黄門そのままです。目が点になった私は「ははー」といって頭をさすったものでした。それは「大事な紙片」と同じように現在置かれた環境や条件を越え、時には愉快な物語を語りかけています。子どもも親の後姿や日常の一言に物語を刻んでいることでしょう。
旧約聖書の詩篇には「悔い改めの詩篇」と呼ばれるものが七編あります。143編はその最後の七番目のものでダビデ王の作とされています。昔を振り返るダビデの生の物語には数々の栄光もさる事ながら、そこにはまた深刻な罪の闇が裁きの口を開けていることを知って恐れました。改めて心の底から神さまに向き直ることを決意したダビデは、ただ神さまの慈しみに頼りました。そして彼の生の物語のすべてに神さまの手の働きを覚え、感謝せずにはおれませんでした。真の神への賛美が真の悔い改めにあることを教えられたのです。
