2010/10/08 -2

【聖書】コリントの信徒への手紙一13:4~7

 猛暑の中、東京都で「高齢者不明」という報道に背筋が凍る思いです。100歳以上の高齢者の所在や生死がわからないという事態が続いています。113歳になる女性が不明で住民登録地に住んでいないことがわかり、111歳の男性は実は30年以上前に死亡したらしいと言うことです。寂しく悲しい出来事です。こうした例が既に数十件あるといいます。「世界一の長寿国」と言われた日本の実態は怪しいという海外からの評も聞かれます。自治体や警察も共に実態調査を進めるということですが、家族も把握していないという家庭の空洞化は深刻です。
 1960年代に入り「マイホーム主義」という言葉が流行しましたが、数年後には「核家族」の呼び名が広まりました(岩波ブックレット「年表昭和史」)。そして「子どもはといえば、カギっ子になって、学校から帰ってくると、オヤツを食べるのもそそくさと、学習塾へ飛び出していく・・・いささか文学的な誇張を許されるならば、あとにはマイホームという名の、人けのない建物が残るだけで、つまりは家庭の空洞化である」「家族は本来求心的に結集するはずのものだが、自由を求める気分は逆のベクトルを示して、遠心的に働く」(「敗戦国民の精神史」石田健夫)のでしょうか。家族とは同じ屋根の下に生活しているだけでは家族とはならない。互いに家族をしなければ家族とはいえない時代だというある建築家の言葉が思いだされます。何が変わってしまったのでしょうか。
 石田健夫は「そこに欠落しているのは、おそらく「愛」である。他者を他者として認める寛容さ、あるいは人間と人間を結びつける優しさ・・・」と述べています。オリーブは古い幹を支え囲むように新しい幹が包み成長するそうですが、旧約聖書の詩篇に「食卓を囲む子らは、オリーブの若木」(128:3)とあります。円いちゃぶ台を囲む一家団欒の微笑ましい様子が浮かびます。「愛はすべてを結ぶきずなです」。この愛の形を教え示した使徒パウロの上記のことばは真剣に見直す時だと思います。