2010/10/10 -4
【聖書】マタイによる福音書14:19
雑草に対する私たちのイメージは「たくましい」という感じがありますが「植物学の世界では弱い植物で、雑草から私たちが学ぶことが多い」と静岡県農林技術研究所の稲垣栄洋さんは意外なことを言っています。条件の悪いところで生き残るすべを心得て、ほかの植物との争いを避けて場所や季節にそう生き方をしているのです。環境を受け入れ、逆境をチャンスに変え、冬眠ならぬ夏眠して競争を避け、愚痴を言わない。「実を結ばない雑草はない」といわれる「しなやかさ」をもって「生きる目標」がはっきりしているというのです。 「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい・・・」とつい呟きたくなる昨今、なるほどと教えられ考えさせられます。
「雑草」と訳されている言葉がただ一つ聖書のヨブ記にありますが、多くは「草」という言葉が使われ、「地はあお草・草を芽生えさせ(創世記1:12)」と豊かさを表し「草は枯れ、花はしぼむ(イザヤ書40:7)」と弱さ・はかなさに触れています。イエスさまは「草の上に人々を座らせ」尽きることのないキリストにおける神さまの愛を、わずかのパンと魚を用い、救いの恵みとして与えられました。座した大地の「草/雑草」に、人々は何かメッセージを聞いたことでしょう。「人はみな草のようだ(ペトロの手紙一 1:24)」しかし生きる場所と機会をどこに求めるかを触れ確かめるよう、そこに「座る」ようにと言う救い主イエスさまのみ言葉に聴きたいと思います。
