2011/12/01 -4

【聖書】レビ記23:28

 「人間の罪を徹底的に見つめたドストエフスキーに親鸞は重なって見える。「あしきおのれ」という罪の意識をみつめ、心の闇を探り続けることで思索を深め、人間の根源的な悪というものを見つめた親鸞の思想はきわめて現代的な意味を持っているように思える。」(法然と親鸞/朝日新聞)と作家の五木寛之氏は言っていますが考えさせられる言葉です。
 今なお伝えられるユダヤの贖罪日に、各家庭で子どもたちに、この日について話し、見せ、教える習慣について聞いたことがあります。一家の主が同じ長さの二本の紐を見せ、一本の紐をとり真ん中に鋏を入れて切りながら「これは罪によって神さまとの関係が切断された人間の姿です」と言います。そして二つに切断した紐を一つに結び「これは悔い改めた人間の姿です。切らなかった紐に比べこれは短くなっています。人間は罪を犯さないで毎年過ごすことはできません。しかし、悔い改め罪を贖われると、そのまま天と地を結んでいた時より天は近くなるのだよ」と子どもたちが覚えるように教えるそうです。「祈りの門は時々閉ざされているように見えるが、悔い改めの門はいつも開いている」教訓としているのですがとても大事なことだと思います。
 改革者ルターは「大胆に罪を犯しなさい。しかし、より大胆に悔い改めなさい」と教えました。「悔い改めて、お前たちのすべての背きから立ち帰れ。罪がお前たちをつまずかせないようにせよ」(エゼキエル書18:30)と神さまは呼びかけています。