2008/08/06 -1

【聖書】イザヤ書48:17

 東京老人ホームがある旧保谷市は2001年1月田無市と合併して西東京市と改称されました。昔は畑作地帯と位置づけられていました。開墾の初めは江戸時代です。1882 年上保谷新田・下保谷新田が合併して保谷村(旧保谷市とほぼ同区画)となり1907年北多摩郡に属し1940年保谷町となりました。1915年から1927年にかけて西武池袋線西武新宿線が開通し、次第に人口が増加しました。1945年当時の人口は10,052名と記録されています。
 第二次世界大戦後は保谷市柳沢と東伏見に都営団地が建設され、1959年ひばりが丘団地の建設などにより人口が急増、都市化への道を辿り1967年保谷市となり、住宅都市として位置付けられました。都市化への進展はホームの祈りの集いとして始まった保谷教会が地域に開かれた集いとなろうという希望となって成長しました。
 東京老人ホームが柳沢の現在地に移転したのは1936年のことですが、この年2・26事件や前後して美濃部達吉による「天皇機関説」に対する論議を引き摺り二度にわたる「国体明徴」声明、「国民精神総動員」実施要綱の決定、「宗教団体法」の議会通過等将来に関わる出来事が相次ぎました。
 日本福音ルーテル教会はこの激動期1935年聖霊降臨日礼拝を「特別祈祷総員礼拝」として守り1936年「家庭集会中心に教会躍進運動」の決定。1937年にはこれを継承し「ルーテル教会精神の強調運動」を決議しました。世の動静の中で宣教と奉仕を使命として教会がはじめた教育事業・福祉事業に対する主体的姿勢に関わる大事なことだったと思います。