2009/09/05 -2

【聖書】アモス書7:14

 旧約聖書にアモス書という文書があります。やがて読み終えますが毎日少しづつ通読するように組まれた聖書日課で読み進んできたところです。アモスはおよそBC760年頃活躍した預言者です。アモス書の冒頭の言葉によると、「牧者の一人」と紹介されており、7:14にあるように「わたしは預言者ではない。預言者の弟子でもない。わたしは家畜を飼い、いちじく桑を栽培する者だ」と記されています。
 「預言者」は選ばれて神さまの言葉を預かり人々に語り伝える働きを担う者です。アモスはその預言者集団のメンバーではありませんでした。そのアモスに神さまは「行って預言せよ」と声をかけられたのです。社会は公平と正義を失い弱肉強食の社会的罪と偶像を拝し倫理的に荒廃する宗教的罪の闇が包んでいました。飽食の中で神さまのみ言葉の飢饉です。アモスは神さまの審判を告げたのです。所謂起訴事実とその判決です。
 大事なことは、審判の背後に「わたしを求めよ、そして生きよ」と呼びかけ、回復に向け「悪を憎み、善を愛せよ、正義を貫け」と励ます主のみ言葉です。罪の贖いの十字架を担う神の恵みと愛の招きではないでしょうか。アモスの預言活動は自分から進んで行動したものではありません。また自信をもって応募したのでもなく「一介の家畜を飼う者」として自らの貧しさを告白し、ただ神さまの呼びかけに応えた信仰による確信、神信頼の姿勢です。
 私たちもアモスと同じように自らの貧しさを知っています。信仰弱く力も才能も技術も時間も十分ではありません。ないものばかりに気がつき自信がありません。しかし神さまが呼びかけ用いてくださることには信頼して応えたいと思います。アモスの姿勢に万人祭司の姿勢を教えられます。