2009/09/07 -4

【聖書】詩篇16:8~11

 この夏も集中豪雨が九州北部と中国東海地方を襲い異常な雨量による土石流のため犠牲者がでる痛ましい事故となりました。神学校を卒業して最初の任地は山口県防府の開拓伝道でした。間借りをして集会を始め二年後に仮会堂を与えられた思い出深いところです。その防府市と山口市を結ぶ山沿いの国道が寸断され、市内を流れる佐波川のやや上流で土砂災害は起こりました。今後も予想されるゲリラ豪雨は天災とばかりいえない警告のように聞こえます。
 教会の図書室にもありますが三浦綾子の小説に「海嶺」と言うのがあります。読まれた方も多いと思います。1832年鳥羽港を出て江戸に向かった千石船「宝順丸」が遠州灘で遭難し14ヶ月の漂流後北米西海岸に漂着します。生き残ったのは久吉・音吉・岩吉の3名でした。助けられた3名は日本に送還されるためロンドン経由で途中マカオに寄港、そこで「日本に聖書を」と願う宣教師ギュっツラフと出会います。久吉・音吉・岩吉の3名は聖書の翻訳を手伝い1835年「ヨハネ福音書とヨハネ書簡」が完成しました。
 この聖書は1837年シンガポールで木版印刷出版されました。そしてこの聖書をヘボンが持って日本に来たのは23年後1859年のことでした。三浦綾子はその間の出来事を見事に小説化し「海嶺」に展開しています。聖書が日本語に初めて翻訳されたころのことですが神さまの不思議なみ手のお働きとお導きを感じます。久吉・音吉・岩吉の3名は、その後1837年モリソン号によって日本に向かい、暑い7月30日江戸湾に入りますが砲撃を受け上陸を許されず引き返して行きました。
 三浦綾子は祖国を目前にして祖国の砲撃を受け祖国を離れる船上で「祖国が見捨てても私たちは決して見捨てない方がいる」と祈るように叫ぶ3名の言葉を信仰告白のように記しています。歴史の一こま一こまに自分が捨てられてしまったような言い知れない悲劇が刻まれていることを私たちは知っていますが、わたしたちはそれ以上に決して「見捨てることのない」神のみ手の導きのあることを覚えたいと思います。