2009/09/11 -4

【聖書】マルコによる福音書6:34

 自然に囲まれた小平の中央公園には、けや木や楢などの林に桜や銀杏の並木があり、四季の移り変わりを楽しく見せてくれます。公園は小さな子どもたちのよい遊び場です。おさなごたちが歓声をあげながらどんぐりを集め池の周りを元気よく走る様子は和やかです。おさなごたちは時々母親たちのおしゃべりの輪に来ては離れて仲間と遊んでいます。用事があるわけではありませんが母親のにこやかな眼差しを見ると安心して遊んでいるようです。
 以前ギリシャ正教の司祭高橋保行先生から「ロシアの人々を養ってきた信仰心と「聖なる画像/イコン」についてお話を聞いたことがあります。ギリシャ正教の教会には「聖なる画像/イコン」が壁画や板絵として置かれています。信徒の各家庭にもありますが革命後はイコンの代わりにスターリンやレーニンの肖像をおくよう命じられたそうです。しかし政治家の肖像画がどれだけ精神的安らぎをもたらしてくれるだろうか。ロシアの民衆の底に流れるイコンに代わるものはなかったとお聞きしました。それはキリストの深い愛の眼差しをそこに感じたのでしょう。
 キリストの愛の眼差しは私たちに救いと希望を与えるだけではありません。キリストを知らないと言ったペテロに罪と弱さを教え、神の国に誰が入れるか絶望する人たちに神さまの偉大なみ業を示し、貧しい婦人の捧げものに信仰と生活が結ばれていることを評価され、私たちの悩みや苦しみや痛みも孤独も「安心して行きなさい」と励まし、心からの小さな奉仕をも見逃さず顧みてくださることを教えています。
 イエス・キリストの眼差しは十字架に生命をかけて私たちの罪を贖われ「ここにいますよ」と声をかけてくださる神の愛の眼差しです。「群集を見て」山に登られる救い主イエス・キリストの目は常に私たちを見つめる神の愛の眼差しです。この眼差しの中でこそ私たちは真に生き方を問われているのではないでしょうか。おさなごが「ここにいるよ」という母親の眼差しに安心して広場に遊ぶようにキリストの眼差しの中で主を見上げつつ生きる者でありたいと思います。