2010/10/09 -3

【聖書】イザヤ書29:13

 「日本で老人は敬意を払われておりKeiro No Hiという祝日まである」。米誌ニューズウイークは8月下旬の号で、日本を「年をとるのに一番良い国」とたたえた。だが高齢者の所在不明が数多く発覚し、その看板は大きく傾いた(9月20日朝日新聞社説「高齢ニッポン」)。とありました。家庭の空洞化は深刻です。聖書に「あなたの父母を敬え」という戒め(出エジプト記20:12)があります。その意味は、多くの欠陥を負いつつも私たちは父母を通して神さまの言葉が子どもたちに伝達される務めを担うからこそ敬われると教えた言葉です。この務めを私たちは放棄してよいはずはありません。
 神さまの戒めを心得つつ、イエス・キリストを取り巻くユダヤの環境には家庭の空洞化が進んでいたようです。神さまの戒めを蔑ろにして父母との間の責任や関わりを軽減したり逃れようとする傾向があったのです。「高齢者の所在不明・見えぬ実態」(8月5日朝日新聞)が報じられていましたが、高齢を生きる一人一人の生活と環境と思いは如何ばかりだろうか。昔も今も変わることはありません。イエス・キリストは、これは「神さまの言葉を蔑ろにしている」ことだと警告されたのです。
 以前「愛されるOO党になろう」という標語を掲げて、当時の政権党が党大会を開催したとき招かれた作家の曽野綾子が挨拶をされました。多くの新聞がそれを引用したようですが要点は「真の人間として生きる孤独な戦いを避け、仲良しを組んだ。そのため真の政治を離れた。孤独の勇気に生きることは仕える者となることだ。それが出来ないなら転職するべき」と言うものです。「真の人間としての孤独な戦いを避け、仲良しを組んだ。そのため真の政治を離れた」という真を突いた言葉は、今日政治に限らず、多くの課題に囲まれた私たちが傾聴したい言葉で、かなり射程がある言葉のようです。
 イエス・キリストはエルサレムの指導者たちを批判したこのイザヤの言葉を引いて、「昔の人の言い伝え」にとらわれ、神さまから離れ、真を離れて「仲良しを組み」、表面だけの「口先だけで心は遠く神を離れている」という現実を指摘されたのです。他人事ではありません。神さまに愛された真の生き方を離れて生きた真の伝統はありません。使徒パウロは「わたしが受けたこの恵み」の福音を、神と人そして人と人の間柄を空洞化しようとする罪の現実に向ってメッセージとして伝えました。