2010/11/04 -2

【聖書】マタイによる福音書27:46

 「天災と人災が絡み合うこの惨禍の縮図」ひと月を経ても、福島県南相馬市は災いの中だったと「天声人語」は記していました。毎日ひたむきに生きてきた人々が、理不尽にも命を奪われ、被害を受け苦境にあります。阪神淡路大震災の時冷たい夜空にぽつんと立った電柱を見上げた時キリストの十字架が重なって見えたことを思い出します。「お前がキリストなら自分を救ってみろ」と罵声がとび、弟子に裏切られ、神さまからも捨てられ殺される深い闇が包むゴルゴダの丘にキリストの十字架は立てられていました。キリストが叫ばれた言葉は「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という惨い祈りでした。
 神さまから見捨てられた闇黒の中にキリストの十字架が立てられたことを証することによって、聖書は神さまがいないような絶望の闇の中に、十字架の主イエスが立ち、痛みを一身に負い、共に祈り、救いを成し遂げてくださる福音を告げるのです。神と無縁と思われる暗闇にキリストの十字架は「わたしがここにいるよ」と立ったのです。古くから伝わる教会の暦では今キリストの十字架への道の季節を過ごしています。十字架の死に終わるのではなく復活の明日に向かうのです。復興へなお長い道のりでボランテアの献身的支援活動に国の内外から見えない声援が聞こえます。
 聖路加国際病院理事長日野原重明先生が「死別に悲しみ寄り添う本」として朝日新聞で紹介された3冊の本の一つにアブラハム・リンカーンの言葉があります。「悲しいときには、胸が張り裂けそうな苦しみを味わいます。(中略)やがていつの日か心の晴れるときが来ようとは、いまは夢にも思えないことでしょう。けれども、それは思い違いというものです。あなたはきっとまた幸せになれます。」(「すばらしい悲しみ」G・Eウエストバーグ著)。主が共にいてくださいます。