2011/11/08 -1

【聖書】箴言26:11

 「無残すぎて、もう広島は思い出したくない」率直な心の叫びであった。1945年8月6日午前8時15分、爆心地から2キロ。爆風は仮眠していた遠藤昌弘さんを吹き飛ばし、壁にたたきつけた。外に出ると、黒く、肌がずるむけになった女性たちが「助けて」とうめきながら倒れていく。遠藤さんは避難先の小学校の講堂で敗戦を知った。8月末髪が抜け下痢がとまらなくなった。戦後郷里の南相馬市に戻り町役場に就職し土木課に配属された。
 やがて日本経済は驚く早さで成長を始めていた。鉄鋼や造船、自動車などの重工業は、働き手として農村から若者を引っ張っていった。補助金で町が豊かになる。雇用も生まれる。遠藤さんは原発建設に必要な石を運び出す道路をつくるため用地交渉にあたった。「原発は平和産業、雇用をつくる地場産業です」と頭を下げた。「私は被爆者だから放射能の怖さをよく知っています。原発と原爆は違います。安全なのです」と。原発は「平和産業」だと信じてきた。
 福島第一原発で3月12日水素爆発が起きた。20キロ圏外に逃げるように言われ、遠藤さんはあてのないまま10キロ先の体育館へ、そして250キロはなれた神奈川県相模原の知人宅にたどりついた。妻と過ごしてきた自宅は警戒区域にある。どうなっているのだろう。
 無残な被爆そして悲惨な被曝を体験した遠藤さんは核の時代の現実を「目に見えぬものに逐われて春寒し」と詠んだ(朝日新聞「核の時代を生きて」より)。貴重な証言です。
 やがて私たちは66年目の8月6日広島原爆被爆、9日長崎原爆被爆の日を迎えます。毎年広島・長崎の「平和宣言」には貴重な気付きを与えられますが、「過ちは二度と繰り返しません」の主語を確認していくことが大事だと思います。