2008/08/07 -2
【聖書】エゼキレル書2:1
保谷教会が東京老人ホーム内に誕生してから柳沢の現在地に地域教会として会堂・牧師館が与えられた1960年を第一の節目とすれば、1969年は第二の節目となる時でした。初めて牧師館に定住する牧師を迎え教会としての伝道計画が立てられ歩みはじめた教会が1969年白髭牧師の赴任により「自立計画」のもとに歩むところとなったのです。
白髭牧師は長年九州博多教会の牧師を勤められ日本福音ルーテル教会が教区組織へと改組される前、下関教会から博多教会に赴任され北九州部会長を勤められた経験豊かな牧師でした。個人的なことで恐縮ですが山口県防府市開拓伝道に赴任した私は当時北九州経済圏と広島経済圏の間に位置する防府市がどちらかを指向し、歴史的にはザビエルを受け入れ、持代の先駆的役割を担いつつ明治に入って津和野でのキリシタン殉教が起こった環境での伝道圏について白髭牧師を何度か訪ね親しく学びご意見を伺ったことでした。
海外の諸ルーテル教会の経済的人的支援を多く受けていた日本福音ルーテル教会が「自立宣言」をしたのは1970年のことでした。受けるる教会から与える教会にという自覚・日本経済の成長著しい環境から支援を受け続けることへの批判・日本の諸教会・団体の相次ぐ自立への決断などさまざまな要素がありました。しかし主体的決断をもって臨むことを選択したといえます。
保谷教会では1969年度教会総会において「東教区自給推進5ヵ年計画」に沿って1972年自立を目指すことになりました。第二の節目です。その時白髭牧師が提案したことを30年記念誌に「(1)保谷教会の特殊事情を生かすため教会員相互の交わりのための具体的計画を実施。(2)保谷教会自給達成のため、教会員各自の自覚を促すと共に献財精神を高めるように指導する」と記しています。
