2008/08/09 -4

【聖書】ガラテヤの信徒への手紙6:9

 1982年保谷教会伝道30年の記念のとき「42年の間、牧師として生き語り続けた私が新しい年を迎えて心に決するものが起こった。それは牧師の定年を早めて、保谷教会15年の奉仕に休止符を打つことであった。・・・保谷教会がせねばならぬこととやったことは、一つだけであった。それは礼拝を中心に教会形成を進めることであった。」と白髭牧師は決意を述べ総括しておられます(保谷教会30年記念誌「新年の抱負」)。白髭牧師の働きは、自立を目指し、達成して10年、新会堂建築計画に向かう一つのステップを形成したと思います。
 教会に仕え代議員として尽力される木村 猛兄は「今年は私達の保谷にとって記念すべき教会発足30周年、30年の歩みは、壮年期への一支点である・・(保谷教会30年記念誌)」と述べ、またこの年白髭牧師に協力を惜しまず月一回の礼拝説教を担当し、聖書の学びを担当された内海 望牧師は「充電期から放電期へ」と教会の方向転換の時を迎えている(保谷教会30年記念誌)と奨励しました。
 1968年(昭43年)から15年間、保谷教会の伝道・牧会を担ってこられた白髭牧師は豊かな経験と豊かな賜物をもって保谷教会の自立への足場を固め、自立を達成し新会堂建築計画募金開始という大事な時期の教会形成に尽力されました。そして保谷教会の「壮年期への支点」を据え、保谷教会30周年記念を期に定年を迎えられました。白髭牧師は一つの節目を刻み、惜しまれつつ保谷教会を後にされました。この間の主日礼拝出席平均は記録によると男性11名・女性32名・計43名となっています。
 白髭幸子牧師夫人は「15年前、一枚の地図を頼りに、私共は吉祥寺に下車した。アブラハムの心境と言いながら。そうして何の予備知識もないままに上京し、与えられた教会は実に精神的に豊沃な大地であった。教会生活は充実していて、聖日が待ち遠しく、あっという間に15年経ってしまった。」と思い出を30年記念誌に記されていますが今尚私たちが分かち合う主の恵みです。