2008/08/10 -3
【聖書】コロサイの信徒への手紙2:19
1984年第三の節目に立っての主題「地域に向かって伝道しよう」は、保谷教会にとって教会組織以来の基本姿勢の確認ともいえます。具体的計画として外部講師による年二回春と秋の「特別伝道集会」があります。各集会によって2300枚・5000枚・1000枚・700枚と数のバラつきが見られ気になるところですがビラの配布とポスターによる案内が行 われています。
会堂の老朽化に伴い新会堂建築に向かって募金活動が始まったのは1977年でした。それから10年、1987年会堂建築準備委員会が発足、当時教会に隣接する東京老人ホーム別館用地と聖文舎による事業案とあわせて協議が始まりました。この案は直接教会の計画に関わることなく経過、建築準備委員会が再開されたのは1990年でした。この時ご奉仕にあたった委員は「西兄(長)・島宗兄・中島兄・迎兄・木村兄・山崎姉・阿部節子姉・古川姉・ 田中牧師・ヘイッキネン宣教師(保谷教会50年の歩み)」と記録されています。
1989年ベルリンの壁の崩壊は大きなニュースでしたが、80年代から90年代は統一教会による若者の洗脳や出家集団問題とオーム真理教の社会問題化が深刻でした。問題の解決と若者救出活動に尽力する平岡正幸牧師の働きは活動に当たる方々の大きな励ましでした。
1991年保谷教会の総会では三つの決議がなされました。1)目標:主日礼拝出席50名・現住会員100名・会計規模1000万円。2)保谷教会規則改正。3)会堂・牧師館改築の三点です。因みにこの年の主日礼拝平均出席は50.5名(含子6.5名)でした。この目標は達成を見ましたが主日礼拝出席平均は1995年の57名(含子4名)をピークにやや右下がり傾向となっています。
