2009/09/08 -3

【聖書】テサロニケの信徒への手紙一5:16~18

 新聞にローマのレストランで食事をした日本人の男女が約94,000円も請求され驚いて警察に駆け込んだという話がありました。その直後観光大臣は「お詫びに被害者をローマに招きたい」と発表、150年の歴史あるお店は営業停止の処分となったと聞いてその対処の早さに驚きました。
 7月の新聞で「ヨーロッパ食堂旅行」(野路秩嘉著)のパリの料理店の回想を紹介した記事がありました。ある店で一番安い定食を頼んだ米国人カップルが書置きを残しました。「新婚旅行の食事のうち、ここのが最高でした」。約30年後4人の家族が最高のステーキを注文しシャンパンを何本も空けた。勘定で新婚旅行の思い出に触れたので、もしやと店主はかねて保存の紙片を見せる。夫婦は涙ぐんだという。店と客の交わりはこうありたい(天声人語)。感動が伝わってきるような記事です。
 この記事を読んだときエンデの「モモ」の中の「人間は自分の時間をどうするか自分で決めないといけない」という一節を思い出しました。つまらない時間にするか意味あるものにするかは自分の責任だということです。渡辺和子はアメリカの修道院での体験を「目に見えないけれど大切なもの」の中で次のような言葉を書いています。修道院の広い庭は夏になると雑草が繁りよい作業場となる。毎日の草抜きは面倒くさいと思っていた。そんなとき院長は一本抜くとき、この世から悪の根が一つなくなるように祈りながら作業するように」と話してくださった。
 作業を終えたとき、庭はいつもと同じようにきれいになりました。しかし違っていた。それは修道女たちの過ごした時間の質である。つまらない草取りの時間は意味のある祈りの時間に変えられ人ひとりの「財産」となったと記しています。パリの料理店の店長は客の一人一人に応える意味ある時間を生きたのではでしょうか。意味ある時間とするよう働く力こそ愛ではないかと思います。