2009/09/11 -5

【聖書】旧約聖書列王記上3:9

 札幌の羊が丘公園には、1877年札幌農学校で教鞭をとり多くの指導者を輩出し貢献したクラーク博士の像が札幌の街を眺望するように指差しています。開拓期から大都市に発展した街に未来への展望を語り「ボーイズビーアンビシャス」の台詞が聞こえて来そうです。しかし私には拓けた街並みの背後に営まれる人々の生きた痛みと汗と労苦の現実を示すクラーク博士の声が来こて来るように思えます。
 三浦綾子はこの丘の名と同じ「羊が丘」という小説を書いています。人を憎んだりさばいたりすることから、人は真に解放されうるか「愛」についてヒロインの人生を通して語りかけ「人はいつ、どこで、自分の生活を断ち切られても、その断面は美しいものでありたい」と告白するように口にしていますが「心の教育云々」ということを耳にする昨今、考えさせられる一言です。生活の断面には表面に見えない心の在り様が刻まれています。
 横山利弘先生(関西学院)の言葉を借りると「心はどこにありますか」と聞きますと、多くの人は胸のあたりを指すかまれに頭を指すようです。「心は見えますか」と言われるとほとんどの人が「見えない」と答えるようです。しかし、心は人の何気ない仕草やちょっとした一言を通してある程度見えると言う経験もあると思います。勿論見間違えもありますが、心は隠しても見えてしまうことがあるのです。心は「知識・感情・意思の総体」と広辞苑にはあります。
 「知識」は判断が確かとなること、「感情」が細やかになること、「意思」が強くなることが心が育つということでしょうか。「あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです(コロサイの信徒への手紙3:12・14)。」心の教育の指針を教えられる思いがします。