2009/09/12 -3

【聖書】ヨブ記5:17

 新年明けましておめでとうございます。今年もどうぞ宜しくご指導ご鞭撻のほどお願いいたします。昔年頭の指針にと聞いたお話に「器は入るるものをして己が方円に従わせる。袋は入るるものをして己が方円を必とせず。入るるものに己が方円を従わせる。布の一袋壷中の天地を笑うべし」と言う詩があります。自己中心的な固定した考えや生き方ではなく自由な考えや心をもって生きることの教訓でしょうか。「慎む」に通づる「包む」文化は古くから私たちには「相手への大事な気遣い、思いやり」としても伝えられてきましたが頷けます。
 聖書の中で悪魔の問いは私たちの急所を突く鋭いものがあります。イエス・キリストはパンの問題・奇跡の問題・悪魔の力を借りる問題を悪魔から突きつけられました。信仰深く、家族や財産に恵まれた思い遣りのあるヨブは豊かで幸せな人生を順調に歩んでいました。しかし、悪魔は隙を狙います。信仰深い人生は、ヨブが豊かで幸せだからで、不幸になれば信仰を捨てるだろう。「人は何の利益もなく神を敬うだろうか」と神さまに問いかけます。
 ヨブは一日にして家族も地位も名誉も財産もすべてを失う悲劇に見舞われますが「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主が与え、主が奪う。主の御名はほめたたえられよ」と祈ったのです。そのヨブに追い討ちをかけるようにヨブは健康を奪われ不治の病に臥す身となります。その時にもヨブは神さまを呪ったりしないで「わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか」と告白しました。しかし、その背後にある心の嘆きと痛みは深刻で極限でした。ヨブは「わたしの生まれた日は消えうせよ」と自分の生まれた日を呪っているのです。どれもが本音だったと思います。
 祈り、呪うヨブの本音は私たちも本音で叫び、呻き呪い祈る言葉でもあると思います。神さまは傷を「包み」「癒し」てくださるという信仰は神さまがヨブの上に与えられたお導きでした。大きな試練の中で成長への足がかりとして神さまの愛の中で進められるものではないでしょうか。不信不安が覆い先が読めない世界情勢の深刻さが悪魔の問いかけのように個人の生活に深く影響するこの時代です。信じて祈り、また呪い呻く者を、真に愛をもって包み癒される神さまの御手を信じ希望を持ってこの年も共に歩みたい。