2010/10/05 -2

【聖書】コリントの信徒への手紙一14:11

 1945年第二次世界大戦後、沖縄は日本本土から分離され米軍の統治下におかれました。27年後の1972年5月15日本土復帰となりましたが米軍基地は殆どそのままでした。第二次世界大戦末期米軍との激しい地上戦により12万人もの人々が犠牲となりましたが、これは当時の人口の4人に1人が犠牲となる悲惨な出来事です。戦後米軍は沖縄の住民が捕虜として収容されている時期に土地を囲み基地を作りました。復帰後土地代など政府と契約方式となりましたが、当然その経緯上認めないという考えもあります。沖縄県に全国の米軍専用施設の75%が集中しているのは少々異状さを感じます。(朝日学習年鑑「政治と経済」)。
 そもそも全国知事会議などで重要課題となることがあったのでしょうか。「全国の皆さん、沖縄の基地問題は沖縄だけの問題ではありません」仲井真弘多沖縄県知事の言葉です。大田昌秀元知事は「これではあまりに沖縄の負担が重すぎます」と訴えていますが全国の意識の落差は大きいようです。日米安保条約(1951年)は米国の日本防衛義務(第5条)と日本の基地提供義務(第6条)を柱としています。目的は「日本の安全に寄与」することと「極東における国際の平和及び安全に寄与」すること(抑止力でしょうか)とあります。「日本にはアジアで影響力を持つ国であってほしい、そうしないとアジアのバランスが崩れてしまう」という米政府高官の言葉に触れ「極東の平和と安全の役割を米国も近隣諸国も心配していること」と記しています(「日本@世界」朝日新聞社主筆船橋洋一)。60年・70年安保問題の問いかけを思います。
 使徒パウロは「互いに重荷を担う」よう薦めています。「重荷」とは「抑圧・圧迫・悩ますもの」など意味する言葉ですが個人的にも社会的にも「互いに重荷を他者に丸投げするようなことがないように負いあう」のです。「愛によって互いに仕える」ことです。「隣人を自分のように愛しなさい」と言う十字架痛みに担われた主イエス・キリストの新しい戒めを全うすることだからです。途方に暮れた混迷の中で常に一筋の光となった言葉です。