2010/10/06 -5
【聖書】ローマの信徒への手紙10:15
「ありふれた朝。その中に一日の淡い幸福感の保障が潜んでいることもある」という落合恵子さんの「ありふれた朝の」(生活欄/朝日新聞)を目にしました。「前を行く同世代の男性が曲がり角の黒いフェンスの前で立ち止まったのだ。道路に飛び出していた純白の花をつけていた枝に手をのばした。背を屈めた彼はやさしく枝に手を添え花に顔を近づけ香りを嗅ぎ、ありがと、とでも言うように枝を撫でて再び歩き出した。ただそれだけ。ありふれた朝の中の数分間の光景である。が、わたしは今日一日の、淡い幸福の保証を贈られたような気がした」とありました。
ヨーロッパの古い教会には美しいステインドグラスが目立ちます。以前ある教会で「世の中が暗(夜)くなると教会のステインドグラスは教会の中に点された光によって暗くなった世(夜)に美しく聖書の物語を語りかけます。世の中が明るく(昼)なると教会の中はステインドグラスにあたる光によって美しく輝く聖書のメッセージを会堂の中に満たします。これは私たちの生活の励みであり大きな慰めです」という話を聞いて、ありふれた日常の光景の一つであった古い教会の美しいステインドグラスを観ることから考え聴き入ることを学んだことでした。
私たちがいつも見過ごしてしまう見慣れた光景の中に神さまの愛のメッセージを聞き取るように教えられたのはイエス・キリストです。空の鳥・野の花を指して人知をはるかに超えた神秘の世界に注目し、神さまの深い愛が私たちを支えている恵みを教えてくださいました。あなたは愛されていると言われて過ごすのと、あなたのことは知らないと言われて過ごすのとどっちが幸せかは言うまでもありません。神さまはイエス・キリストによって命がけで私たちを愛していると約束されました。「世界は教材に満ちた神さまの教室だ」と言った人がいましたがその通りだと思います。
