2011/11/06
【聖書】エゼキエル書18:31
いま東日本大震災で被災した方々と被災しなかった人々との間の「隔たり」が広がっていると感じるとは哲学者鷲田清一先生(大阪大学総長)の言葉です。第二次世界大戦後60数年経っても、戦争で受けた傷、大切なだれかに死なれた事実をまだ受け容れられていない人がいるように、語りなおしは苦しいプロセスです。自分をこれまで編んできた物語を別なかたちで語りなおさなければならないからです。6月となるとそのプロセスの厳しさを痛感します。
1945年6月18日「鉄の暴風」と形容される悲惨を極めた沖縄で「ひめゆり部隊」の集団自決、23日沖縄戦の終結の日をむかえます。中学の同級生宮城君は沖縄戦で家族を奪われ、戦後その悲しみと痛みを負って沖縄に帰っていきました。相撲が強く人気者の小学校の同級生だった遠藤君はサイパン戦で両親を奪われ、戦後奇しくも私は大森教会で再会を喜んだものの、6月に基地が集中する沖縄を旅する途中、事故により亡くなりました。「沖縄慰霊の日」が来ると、記憶の中の彼らの後ろ姿と笑顔から現実の広がる「隔たり」を痛感します。
「どうして死んでよいだろうか」神さまの深い愛の痛みに支えられ「語りなおし」の道程を「隔ての」中垣を十字架に担いきる救い主に委ねたい。
