2011/11/11 -2

【聖書】マタイによる福音書20:1~16

 第二次世界対戦後母が結核のため入院しました。当時中学生だった私は春と夏休みに所謂アルバイトをしました。薬も栄養も不足していた時代です。少しでも補えればと労働者に混じり街角の集合地に早朝から立ち並び、仕事を待ったこともあります。仕事が回って来なかった時は実に空しい気持ちで帰ったものです。でも大人に混じり、市内の焼け跡の整理作業をしたことがあります。大人にとって中学生の私の働きは足手まといだったと思いますが、その日の日当は大人の人と同じだったのでびっくりしました。それを見た人が「それはおかしい」と意見していましたが、監督は「みな約束どおりです」と言いきりました。私は嬉しさと何か複雑な思いが交差していましたが、小見出しに「ぶどう園の労働者」のたとえとあるイエス・キリストのたとえを思いました。早朝雇われた人も、遅く夕刻に雇われた 人も約束通り同じ賃金を手にしました。絶望に近い思いで夕刻まで立っていた人、嬉々として早朝から汗して働いた人の「正負」いかばかりかは到底計りがたいことです。日野原重明先生が「人生の帳尻はみな合っているのです」といっておられますが「一日一デナリオンの約束」の恵みを大切にしたい思います。