2011/12/02 -2

【聖書】コロサイの信徒への手紙3:12~14

 「人間関係」を「じんかん関係」と表現した学者がいました。人間は「人と人とのあいだ(間)がら(関係)を生きる」からだということです。その間柄関係を天災や人災による災害は一瞬にして破 壊し飲み込んでしまいます。私は戦前戦中東京大森の馬込第一小学校に学びました。1963年大森教会に赴任した時、級友との絆を求めて馬込小学校を訪問し同窓会名簿を見て唖然としました。戦災という人災によりクラスの約80%がなお「行方不明」と記入されていました。
 災害によるばかりでなく、好景気の最中作家の故三浦綾子は定年退職した一人の男の歩みを「尾灯」で書いていました。「彼は札幌の会社で真面目に働き課長となって定年退職した。時々来てください。また一緒に飲みましょうという後輩の言葉を嬉しく聞き、会うこともあったが月日がたつと誰も声をかけてくれないし、誘っても来なくなった。彼は一人で飲み寂しく家路についた。終列車に乗るため札幌駅の階段をホームに向かう。やっとホームに上がってみると列車の赤い尾灯が見えた」という。人と人との間がらが目だって「利害得失」に侵食されてきたことへの警鐘のように見ます。
 2月9日の新聞「声」に3・11被災地の「がれきを受けいれ、広げよう」という訴えがありました。手を挙げた自治体もありましたが住民の抗議で撤回されています。放射能への懸念もありますが「「絆」であふれる世の中の、これが一皮むいた姿かと嘆く声もある。被災者は歯を食いしばり冬の寒さに耐えながら復興に向けて頑張っている。共に歩くために何を分かち合えるのか考えたい」(天声人語)とありました。同感です。「愛は、すべてを完成させるきずなです」