2009/10/02 -3

【聖書】詩篇147:3

 「おいと声をかけたが返事がない・・・」で始まる「峠の茶屋」があったといわれる前を通り夏目漱石にひかれ、痛快な思いで「坊ちゃん」を読んだのは中学生のときでした。現実には何も変わらなかったのですが読書好きの級友と周囲の環境を「坊ちゃん」の生き方に重ねて愉快になったことを思い出します。主人公の医師栗原先生は夏目漱石の「草枕」を諳んじるまで読み込んだという「神さまのカルテ」(夏川草介著)は「坊ちゃん」に似た作風で若い医師の診療生活を通して身近に地域医療の課題と実態を伝えています。
 「病むということは、辛くとても孤独なこと」と言った安曇さんは「先生はその孤独を私から取り除いてくださいました。(山々を眺めお花を見てカステラをほおばり)楽しい時間を過ごすことが出来ました」と感謝の言葉を書き残しました。栗原先生は最新の医療の限界を越えて、安曇さんが人として「楽しい時間を過ごし」「孤独」を癒されたことを、厳しい痛みとの戦いの中で感じ取っていたことに「神さまのカルテ」の不思議を痛感されたのだと思います。栗原先生はこれは「足もとの宝」だったと言っています。
 収容所で「あの木がひとりぼっちのわたしの、たったひとりのお友だち」だったという婦人のことをフランクルは「夜と霧」の中でふれていますが村瀬学先生(同志社女子大教授)は「人間の尺度」では測れない「途方もない大きな秘めたたたずまい」を直感し「敬意」の感情をいだいたのではないかと言っています。イエスさまは「野の花」「空の鳥」をご覧と語りかけ、神さまの愛を教えてくださったことを新約聖書は伝えています。
 痛みや悩みが消え去るわけではありません。私たちは愛されているということを知っているとき、いや信じているとき悩みや思い煩うことはなくなるものです。孤独に心傷つき砕かれるような原因はいつでもどこにでもあるし、なくならないものです。しかし、傷つき悩むこのわたしを愛してやまないイエス・キリストによる神さまの愛に心開かれたとき、愛の神さまの優しい手を野の花に、一本の木に感じ、包み癒されることを詩篇のことばは伝えています。