2009/10/03 -2

【聖書】マタイによる福音書11:7

 「人間はイメージを頼りにして物事を判断する」と言った人がいます。人や色々な集団・行動や思想など「~とは・~というものは」と、それぞれイメージを作り、それを頼りに考えたり行動したりするというのです。なるほど「あの人は~」とか「この町は~」とか「この企業は~」等と自分なりにイメージを作り、格付けをしたり期待や予測をしたりしています。そして時には頷き同調し、時には反論したり、発展させたりしますが時にはそれが厚い壁となってしまうことを知っています。
 茶室の入り口は「にじり口」と言うそうですが「にじり口」というだけあって、両手両膝をつかないと入れない狭いものです。「わしがにじり口を入るとき、わし自身捨てねばならぬものが多いのう」「はい目に見える大小は取り上げることは出来ましても旦那様の腰に帯びている見えぬ刀は誰にも取り上げることは出来ません」(三浦綾子著「千利休とその妻たち」)。謙虚に身をかがめてにじり口を入り、奥行きの空間に静かに茶を味わうという大切な心に迫る言葉です。
 高校生のとき、あるテストに失敗し、何もかもが空しく感じられ落ち込んでいた時、アメリカ人の若い宣教師が「小さな一円玉一つが世界を見えなくするものです。一つの傲慢な思いが本当のあなたの世界を見えなくしていないか」と忠告してくれたことがあります。確かに小さな一円玉を目の前にかざせば視界は遮られ先は見えないし闇に包まれてしまいます。もっと離して視野を広げ、問題の所在を見直すことが大事だと「にじり口」を教えられたような一言でした。
 ある時主イエスは「あなたがたは何を見に荒れ野へ行ったのか。風にそよぐ葦か。では何を見に行ったのか。しなやかな服を着た人か」と人々に問いかけています。真理に向かい対面しながら自分勝手なイメージや一円玉を目の前にして壁を築き、視界を遮るようなことをしている人々への普遍的な問いかけでした。「知恵の正しさは、その働きによって証明される」と主イエスは神さまの示す救いの道を行く救い主のご生涯に注視し従うよう教えられました。