2010/10/11 -3

【聖書】フィリピの信徒への手紙1:6

 「洗礼を受けた時は何か人生の転機でもあったのか、その感想を話してください」といわれ、何も人を感動させるような経緯や体験を持っていない私は、ただ手短にその時のことを話すだけで、最初は辛い思いをしたものです。
 始めて教会の礼拝に顔を出してから2年後、中学4年の時私は12名の友人たちと一緒に洗礼を受けました。いつの間にかそうなってしまったような、主体性を欠いた自分の姿勢に「これは一時的な感情だったのか、熱がさめたらお仕舞いなのか、忠実に信仰生活を続ける自信はないし保障もないし」と気になり、一緒に洗礼を受けた友人に知恵を求めて語り合いました。「それは君次第だよ」といわれますます不安と後悔がましたようなことが思い出されます。
 始めがあれば結論がある。世界には必ず一切の疑問が解決され、結論の出される日がある筈です。終末の時です。聖書は「イエス・キリストの日」と教えています。使徒パウロは「その日まで信仰が保たれ完成される」と教えています。神さまが愛を持って先手を打って私たちの中に働いてくださるというのです。この言葉に接した時、これこそ福音だと思いました。信仰の根源がどこにあるか、それは神さまが始めてくださったのだと教えています。それ故私の努力によって完成に向かうのではなく、神さまがキリストの日までに完成してくださると教えています。これは恵みそのものです。そこに立って歩みたいと思いました。